とあるATMの徒然草

ども、ATMです。LDK・自己満足の為のブログ。・Twitter,Instagramの延長線

ブラウザバック推奨。いま何となく伝えたいことを言いまくるだけ。

今から書いていく文章は、ツイッターの文字数の限られたSNSで話せない文字数で自分の伝えたいことを自己満足で書き連ねていくだけの記事になります。

誹謗中傷をするつもりはありませんが、かなり重い内容で人によっては気分を害すると思うので、ブラウザバックを推奨します。

YouTubeやストーリーや他のブログ記事でもみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

議題1:「死にたい」って言う理由、思う理由。

「死にたい」って最近はツイッターではつぶやかなくなりましたが、やはりいまでも「死にたい」っていう気持ちには変わりないんです。

「死んでどうする」「なぜ死ぬ」そういう人がとても多くいます。

俺が思うにその人たちはきっと一度も「死にたい」って思ってこなかった人たちか、死ぬことが怖くなった人たちだと勝手に思ってます。

だからこそ、人に死ぬ意味を問うんです。自分が死ぬ意味が分からないから。

(職業で専門でカウンセラーとかしてる人たちはおそらく専門の教育を受けてきてるので、今回の話とはまた別問題です。)

それでも俺は「死にたい」って言い続けるんです。なぜか。

 

それは今まで言われたことの逆です。「生きてる意味がわからないから」です。

「生きる理由死ぬ理由なんてわかんないじゃん」っていう人。その通りです。弁明の余地もありません。

それでも俺は生きるより死ぬ方が断然意味があると思ってしまう人間なんです。

少し過去の話をすると、小3の時、俺は虐められてました。(あくまで俺からとらえたら虐められてたって捉え方で、他の人から見たら違うのかもしれませんが。)

そっから小4、5、6とあまりいい友人関係を結んだわけでもないし、「親友」と呼べる存在なんかいませんでした。自分的には、小学生時代にこういう体験をしてしまったことが人生の大きな誤りだと思っています。

中学に入ってなぜか学級委員や学芸発表会実行委員などを任されるようになり、小学校とは打って変わって虐められることなんてありませんでした。これはこれで自分でも不思議でした。

高校に入ってからは中学と違って、人の上に立って先導していくなんてことはなくなりました。おそらく自分の価値に気づいたんだと思いました。

 

この16年間、人よりもいい人生を歩んでるかもしれない。少なくても発展途上国の子供たちと比べたら。

でも俺は自分の存在意義が見いだせないし、生きている意味なんてわけわかんない。

だったら、この人生をもっと有意義に使いたかった命を落とした人にこの命をあげたいって思うんです。

「親不孝者」ええそうですとも。もう何人にも言われてきました。渥美家の顔に泥を塗るような行為を今この瞬間もしてるわけです。

でも、この世で生きるって行為がもうつらいわけなんです。

わかる人はまあいないでしょう。

考え方は人それぞれですから。

もしかしたら自殺した場合はこれが遺書になるかもしれないんですよね。

多分しないですけど。

まあそんなことはどうだっていいんです。

誰か一人でも俺の言いたいことが伝われば。

 

議題2:なぜ陸上を始めたのか。その2

「その1なんてないじゃん」当たり前です。このブログ内で話してないんですもん。

ただ、ツイッターやPeingでは話しました。

まはら三桃著「白をつなぐ」がVもぎの国語の問題に出てきて、自分も駅伝がやりたいって思ったから。

これがその1の理由です。

では、その2はなにか。

それを語るには、過去にさかのぼらせていただきたいと思います。

 

小5で友達に誘われミニバスケットボールを始めましたが、その時のコーチが厳しく、俺のセンスもなかったので、試合には出してもらえないこともありました。

なぜかその経験があったにも関わらず中学でもバスケットボール部に入部したのが大きな過ちでした。顧問の先生は学校の中でも特に厳しい先生の一人で、2年半のうち1年間くらいはバスケットをしていないと思います。怒られて、部活謹慎があって、先生に誤りに行って、それでまた怒られて、やっと許しを得ても、江戸川区内最低の学校の最低の部員だったので、とてもうまい同級生がほとんどを占領して俺はほとんどコートに立たず、怪我や実行委員会の仕事なども重なって、バスケットをしてきませんでした。

なにもできないまま引退試合を迎え、撃ったシュートはゴール裏、ラストパスも結局つながらず、4Pのホイッスルが鳴って、そのあと泣いた記憶しかありませんでした。

未だに先生が最後の最後の選手交代を俺にした理由はいまだに理解できてません。

先生が言うには「最後まで全力で辞めなかったから」だそうでした。

 

高校に入って、わけもわからず陸上を始めました。最初はVもぎや箱根などの駅伝がやりたいっていう単純な理由で。世界陸上で3000SCをやってるのをみたのも大きいかもです。あとは小中学生のころから長距離だけは得意で、中学の運動会で1500mを走ったこともありました。(あえなく撃沈しました)

高校1年生のの体育祭でも1500mを走り、まさかの6分台で撃沈。

そこから800mを始め、中長距離パートに転向、1500mを5分一桁台に持っていき、3000m、5000mを始め、1年間で4分近くタイムを縮めました。

吐き気だった胃腸の痛みは入学前から総合病院で診察を受けたが、うまく治らず。高2の9月から学校に近い総合病院のスポーツ内科で治療中などバスケ時代と比べると陸上に対してのやる気がかなり変わりました。

 

そんな経緯で始めた陸上競技を始めたもう一つの理由は、「誰も傷つけたくなかったから」だと思っています。ええもちろん勝手にそう思ってるだけであって、それがホントかどうかは俺自身でもわかりません。

中学時代は互いに傷の舐めあいと言われましたが、正直互いに傷つけあったチームでした。キャプテンの独断専行、他人をほとんど無視したプレースタイル。

俺自身も傷つけられたし、傷つけられました。それでいて他の人に当たって、故意過失問わず多くの人を傷つけました。

正直、チームスポーツは俺には向いてないって思いました。

だから一人孤独にただひたすら自分を追い込んで走り続ける陸上競技を選択したのでした。

「駅伝やリレーはチームでやらないと成り立たないじゃん」全くその通りです。弁明の余地はないです。

仲間っていう存在は今の部活にももちろんあります。でも正直俺はその仲間を嫌ったり避けたりする傾向があるっぽいです。自分で気づいてないだけですけど。

だからこそ迷惑をかけているのかもしれませんが、それでも誰かをもう傷つけたくないっていうのが本音です。

 

 

議題3:6月の自殺騒動について。

5月~6月の区民大会後にツイッター上で自殺騒動を起こしたことについて語ります。

まず、前提として幼稚園年長からボーイスカウトという地域社会への貢献や自立的リーダーの育成を目的とした団体に所属していました。(詳しくはggrks)

中学時代は「ボーイスカウト隊」高校時代は「ベンチャースカウト隊」という年齢別の位の隊があったのですが、ボーイスカウト隊時代は上記にも書いた通りのブラック部活に所属していたわけで、ボーイスカウト隊の活動集会にはあまり参加できていなかったわけです。父親が元ボーイスカウト経験者の化け物で、何が何でも一番上の級を取らせてボーイスカウトの世界大会に行かせたかったようです。

事の発端は高校生に上がり、ベンチャー隊に昇進した直後の話でした。最高の級を取るためには「宗教章」と呼ばれる章を取得しなければならなかったのですが、父親は俺にそれを半強制的に隊長(大人)に直談判させ、何とか取得させようとしました。しかし隊長はこれを拒否。その後は特に進展なく、俺が父親と隊長の両方を嫌いになり、ほんとに辞めたいと周囲に漏らしていた時期が続きました。

1月に父が半強制的に台湾派遣(このブログで4月に行った台湾は家族旅行ではなく、ボーイスカウトの派遣です。といってもバイトじゃないよ。)に行かせられ、その後報告書の提出義務があったが俺はこれを拒否。世界大会に行くには日本大会に参加派遣しなければならなかったが、5月の第三回目の集会への参加をボイコット。(バイト(笑))その後家出。結局4時間で帰宅したが、父親激怒。俺も言い返したかったが、母親に止められその晩は何事もなく終了。

6月に例の台湾の報告書の未提出がバレ、父親再度激怒。これが区民大会前日。

家出を決意。翌日家出セットとともに出走。かなりの不調で5000m9位で賞状を逃しさらに精神崩壊。

競技場から10㎞離れた学校に近い図書館で自殺宣告ツイート。

その後学校最寄り駅近くのマクドナルドでSOSツイート。友達に止められ、隊長に一連を報告。親には嘘をつき、その日は帰宅。

そこから1か月、耐えに耐えて、友達からの助言やサポートの甲斐あって、7月に正式に退会。

全国大会の江戸川区隊の中でも俺と父は大きな役職についていたが、異動があって無事に終了。

父親は渥美家の歴史や先祖について調べながら仕事してんのかわかんない状況で家に引きこもり、今年10月に祖母が他界し、父方の祖父母は他界してしまったため、静岡に帰ることもなく、自宅にいる。

俺は塾も辞め、バイトにより力を入れ、部活にも力を入れた結果、進路も決まらなくなり最悪の人生を歩んでいる真っ最中。

 

こんなとこでしょうか。

まああくまで俺個人の自己満のために打った勝手な文書だと捉えててください。

気分を害された方は本当に申し訳ございませんでした。何も言わないでください。ホントにヤバいから。

自分の言いたいことを言いまくって、4000文字近い文章を打ち込んでしまいました。ごめんなさい。スクロールお疲れ様でした。

 

もう2時か。寝ます。なんかすっきりした。

テストは最悪だけど。1000点満点中439点は流石に死亡。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

長文失礼しました。