とあるATMの徒然草

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2020/03/25 卒業文集、差し替えます。

「自分で書いた卒業文集作文があまりにも酷過ぎたので、書き直してみた」

3年B組B番 ATM

 正直に言おう。僕は○○高校に入ったことを未だに後悔していたりする。いやまあ確かに偏差値的にも学校行事的にも教育方針的にも〇〇高校は私にピッタリの高校だったとは言える。(某私立高校)の併願は評定が1足りなくて取れなかったし、(某効率高校)高校は偏差値も評定も学力も全然足りていなかったのでもちろん推薦入試はことごとく落ち、先生にも友達にも止められて、願書再提出2日前に公立高校案内のパンフレットの〇〇高校のページの修学旅行の欄に「台湾」と書いてあったから受験して、受かってしまった。

 合格してもうれしい感情は湧いてこなかったし、なんだったら今まででもうれしいと本気で感じたことはこの人生で一度もなかった。挙句の果てには、レインスーツを買い忘れるわ、体育着の下を3枚買えばよかったものの、何をトチ狂ったか上を3枚買うという暴挙に出たりした。入学後もあまり楽しくなかった。部活動の友人以外で誰かと一緒に遊びに行った覚えはあまりないし、クラスの誰かと特別仲が良かったわけでもない。コミュ障であるが故、友人は全くと言っていいほどできなかった。なんだったら、部活の仲間でも仲良くなれなかった人はたくさんいた。一人で昼食のお弁当を食べることなんてしょっちゅうあった。

正直、人生がつまらなかった。いや、今でもつまらない。生きていて何が楽しいのかはこの高校三年間ではわからなかった。いまだに私は生きることの楽しさを見出すことができなかった。この三年間で自殺を試みたこともあったし、自殺衝動に駆られることなんてしょっちゅうだった。

 私はこの三年間で生きる意味の答えを一つ考えた。それは、「運命」であると思った。自分はこの世に人間として、ATMとして生まれ、その命が尽きるまで生きていかなければならないという運命を受けて生きている。私はそう考えた。この答えが合っているのか、間違っているのかはわからない。そもそもこの問題に正解などないのかもしれない。この三年間の最後に歌った曲の歌詞には「答えが既にある問いなんかに、用などはない」とある。もしかしたらこれがこの曲のタイトルである「正解」なのかもしれない。

ならば、次の問いに進まなければならない。

 

問:次の空欄に当てはまる言葉を書き入れなさい。

「君のいない明日からの日々を僕は(                    )」

ただし、以下の条件とする。

制限時間…これからの人生

解答用紙…これからの人生

採点基準…これからの人生

 

 私はこれからの人生、この問題に向き合って生きていかなければならない。これからの日々を残された人生の時間の中で考えて、自分の人生に反映させていかなければならない。

 私の人生が終わりを迎えるときに、この問題を採点してくれる人が現れることを切に願うばかりである。