とあるATMの徒然草

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2019/09/24 ポエムまとめ(タイピング練習&言いたいこと言いまくる)

昔の自由帳(といっても高校3年生の夏休み前からだけど)から書いてきていたヤバそうな言動をデータ化するため&タイピングフォーム矯正のために打っていく。ブラウザバック推奨。

 

 

やっぱ確信したわ。

俺の「好き」は憧れだわ。

〇さん(×2)も〇さんも〇さん(×2)も。このうち彼氏持ちも3人くらいいるし。

好きと憧れは紙一重

あーもう勉強疲れた。しんどい。

英語が嫌いなわけじゃないけど、文法をやり続けたりするのはとてつもなくしんどい。完全にモチベダウン。

 

本当に彼女の存在は全てのモチベーションにつながると思ってる。

つらすぎる。正直もうしんどい。

 

やっぱ一度でいいから体育館の舞台の上で表彰されたかったな。

努力量が足りな過ぎるか。後輩の都大会出場者はメッチャ増えたし、eelさんetc…も凄いし、とにかく、何にもできないから。白鷺に載った名前は間違えられるし、(というかPTA確認してから載せろよ…先生が間違えるのはまだいいけど、PTA、お前らはだめだ。)マラソン大会は4位だからそこまでだったし、何より舞台じゃないし。あとはタイピングで全国行ったらワンちゃんあるかもだし、英検2級とってもワンちゃんあるかもだし、卒業式前になんかワンちゃんあるかもの期待かな。多分なんもないと思うけど(笑)

まあ、ただただ誰かに褒めてもらいたい、認めてほしい。それでいて謙虚でありたいなっていう。動画を作ること、走ること、速く打つこと、誰かに認めてもらいたいだけなんだ。

 

中国語を学ぶのもウソ

映像やりたいっていうのもウソ

将来仕事に就きたいってのもウソ

志望なんてものはなくて 将来なんてものは考えられなくて

昔から夢なんてものはなくて

小学校3年生のときからずっと死にたかった。

この辛くて何一つ楽しくない生活から逃げ出したい。

そうやって、ずっと死にたいって言ってきた。

生きる意味なんて見出せなくて、自分にウソついて勉強してるけど

実際身体は生きることを拒否してて、どれもこれも中途半端で終わらせられて、

生きることを許してくれなくて。

「生きたい」って人にこの命をあげたくて、俺よりも人生を送ってほしくて、

ただの自己満足だけど、わがままだけど、それでも俺は

死にたいんだ。

生きるので精いっぱいで、何もやりたくなくて。

世間にはそんなこと言えないから、適当に自分が生きてきた中で一番興味の湧いていた中国語を学びたいってウソをついて。誰にも心配かけたくなくて。

父も母も嫌いで、この世に生まれてきたことが不運で。

「病んでる」って言われたら実際そうで。それでも俺の「死にたい」って志望は叶わなくて。

「逃げるな」って言われてももう逃げたくて、やりたいことなんて一つもなくて。それもこれも矛盾で。

俺は世間のために、他人のために演じて生きていて。でも、もう疲れて。

 

こんなわがままな俺だけど、許してほしい。

 

動けない。何も考えられない。手が勝手に動く。

それでも死ぬのは怖くて。抗ってる。

 

自分の中で「本当の志望」というのがあって、

それは「志望なし」っていう誰からも認められない志望で、

今まで自分は「表の志望」を使って、ダマしダマしやっていて、

それをダマしていくのが嫌になったのが8月で。

9月に入って、ダマしていくのはだんだん戻ってきて。

 

それでも今日改めて「本当の志望」に直面してしまって、

今さっき動けなくなるくらいダマすのがつらかったのですが、

他の人に迷惑はかけられないので、これからも自分をダマして、

これまで以上にダマして、「自分のため」じゃなくて「他の人のため」に

自分自身をダマして。頑張りたいと思います。

 

「表の志望」に変わりはありません。

神田外語大学・外国語学部・アジア言語学科・中国語専攻

 

こんなのが認められないのは百も承知です。

でも、こうでもしないと「本当の志望」に向かっていく一方です。

 

自分の中で「やるべきこと」を増やしてしまっているから、

それをこなせないのもあるかもしれないです。

「本当に必要なこと」が自分の中で区別がつかないのも事実です。

前みたいに「本当に必要なやるべきこと」を一つ一つ指定・指示していただくのは有効かもしれません。

もちろん、こなせる量でないといつも通りになってしまうので、こなせる量にしなければならないのですが、その量は自分にもわからないのです。(研究中です…)

 

本当は勉強なんてみじんもやりたくなくて、

かといって自分のやりたくもない仕事もやりたくなくて、

食べて寝るだけの住所不定無職にも、刑務者にもなりたくなくて、

だったら「シニタイ」って思うけど、そんなの誰一人として許してくれるわけなくて。

わがままだけど、自己中だけど、自分は自分のために生きていてくつもりは全くなくて、

自分が「好きだ」って思った何かのために生きていくのは楽しくて、

でも、そんな人生、誰も認めてくれるわけなくて。

だったら、逃げ道は一つしかないわけで、

「死にたい」っていう願望を抱えたまま生きていて、

他の人にはその願望をできるだけ見せないように演技していて、

それでも体は正直で、どんどん自分の欲望の赴くままに進んでって。

そろそろ取り返しがつかなくなりそうで、

ますます生と死のあいだに挟まれて、なにもせずに、

この一日一日を堕落して生きていて、

なんか事故で死ねないかななんて毎日思ってて、

でも実際そんなこともないし、自分から事故を起こすこともできないし、

「親不孝」って言われるかもだけど、こうなったのは育ててきた両親ももちろん悪いわけで、

俺は一人孤独に「死」にシュウチャクして生きていて。

やりたいことだけやって生きていて。

 

もう本当に勉強したくないな…

これまで以上になにかをしたい欲がおさまらない。

映像・MV作りたい・タイピングしたい、ドラム叩きたい、体力戻したい、カラオケ行きたい、ディズニー行きたい、台湾行きたい、バイトしたい、お金欲しい、ポケモンしたい、好きなことだけしていたい…

 

やってる。マジでやってる。これはヤバい。

本気で死んだほうがいいレベルでやってる。

考えれば考えるほどこれは事案レベルでやってる。

違うだろって、冗談のつもりで今まで過ごしてきたけど、

もう気づいてしまった以上もう何もできないっしょ…

 

もう体が東進の学習を完全に拒絶してる…

日によって変わるし、これはこれで事案。

周りは死ぬ気で勉強してるけど、俺はそんな気になれない。

やっぱ女の子に生まれたかったな。

(pが打ちにくい…ppppppppppppp。薬指で打とうかな。小指はキツイ)

 

無理だわ。立ち直れん。

身体がもう拒絶してるし、こうなると、もう何もできない。

というか、やる気は3日しか持たない。

 

友達からの「受かった!」「ダメだった・落ちた…」という声を耳にする。

「受かった!」って子には「おめでとう!」と声を掛けるし、

「落ちた…」って子には「まだ次があるよ!」って励ます。

彼らには未来があるし、それ故、そんな彼らを羨ましく思う。

生きる意味も活力も見いだせない俺には彼らが輝いて見える。

彼らは光だ。私は影だ。

軽々しく「死にたい」だとか、軽々しく命を見てる僕らは

「命に嫌われている。」

 

「命を粗末に扱う奴は馬鹿だ。」——その通り。僕は大馬鹿者だ。

「親不孝者め!」——その通り。僕は親不孝者だ。でも、こんな僕に育てたのも、

          また僕の親だ。

「開き直ってんじゃねえよ!」——開き直って何が悪い?別に何をしようが、何を言おうが、何を考えようが僕の勝手だ。

「甘えてんじゃねえよ!」——甘えてなんかない。一つの選択肢を使おうとしているだけだ。

「何で死にたいんだよ」——もうこの世界で生きていくのに疲れたんだよ。

自分の意見を押し付ける両親。何でもかんでも暴力で解決する父親。努力を認めない学校、社会。一度でも足を踏み外したら復帰しにくい社会のシステム。自分の好きなことだけでは生きていけない社会にもう疲れた。

「生きていたら、絶対いいことが起きるから」——そう言われてから9年。

良いことなんて、一度も起きなかった。もう騙されない。

「生きたくても生きられない人がいっぱいいる」——じゃあ僕はそいつに僕の命を上げたいね。僕が生きるより、生きたいって人に命を上げる方が有意義だし、僕は死ねる。Win-Winじゃん。

…なんて事言ったけど、結局は「生きなければな。」とわかってしまった。

それが僕の「宿命」なんだと、この世に生まれてきたのも、この両親の下に生まれてきたのも、勉強しなければならないのも、全部、全部、全部、僕の「宿命」なんあd。

どんなに嫌でも、どんなに生きたくなくても、どんなに望んでいなくても、どんなにやりたくなくても、どんなに受け入れられなくとも、やらなければならない。受け入れなければなければならない。そして「生きてなければならない。」なぜなら、これが僕の「宿命」なのだからだ。

きっとこの先の将来も苦しく辛い現実が待っているだろう。

それでも、それでも、僕は、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、生きなければならない。それが僕の「宿命」なのだから。

 

「宿命・運命」には誰も抗えず、誰も歯向かえない。いずれ、その運命は起きてしまい、絶対に変わることはない。運命・宿命には従わなければならない。いくら努力しようが抗えないのだから。

その運命を、その宿命を受け入れて僕たちは生きていかなければならない。

そういう「運命」なのだからだ。

だから、だから、僕たちは必死に、もがいて、足掻いて、泣いて、笑って、

生きて、生きて、生きて、生きて、生きるのだ。

 

長くなっちゃったな。

まあ、これで。

 

できるだけ、無理をせずにこれからも頑張っていきます。

 

「宿命」を抱えて——